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上海茶 美味端麗


by adhrutjfh

五、六日

とにかく、しかし、そんな大笑いをして、すまされる事件ではございませんでしたので、私も考え、その夜お二人に向って、それでは私が何とかしてこの後始末をする事に致しますから、警察沙汰にするのは、もう一日お待ちになって下さいまし、明日そちらさまへ、私のほうからお伺い致します、と申し上げまして、その中野のお店の場所をくわしく聞き、無理にお二人にご承諾をねがいまして、その夜はそのままでひとまず引きとっていただき、それから、寒い六畳間のまんなかに、ひとり坐って物案じいたしましたが、べつだん何のいい工夫も思い浮びませんでしたので、立って羽織を脱いで、坊やの寝ている蒲団(ふとん)にもぐり、坊やの頭を撫(な)でながら、いつまでも、いつまで経っても、夜が明けなければいい、と思いました。
 私の父は以前、浅草公園の瓢箪池(ひょうたんいけ)のほとりに、おでんの屋台を出していました。母は早くなくなり、父と私と二人きりで長屋住居をしていて、屋台のほうも父と二人でやっていましたのですが、いまのあの人がときどき屋台に立ち寄って、私はそのうちに父をあざむいて、あの人と、よそで逢うようになりまして、坊やがおなかに出来ましたので、いろいろごたごたの末、どうやらあの人の女房というような形になったものの、もちろん籍も何もはいっておりませんし、坊やは、てて無し児という事になっていますし、あの人は家を出ると三晩も四晩も、いいえ、ひとつきも帰らぬ事もございまして、どこで何をしている事やら、帰る時は、いつも泥酔していて、真蒼(まっさお)な顔で、はあっはあっと、くるしそうな呼吸をして、私の顔を黙って見て、ぽろぽろ涙を流す事もあり、またいきなり、私の寝ている蒲団にもぐり込んで来て、私のからだを固く抱きしめて、
「ああ、いかん。こわいんだ。こわいんだよ、僕は。こわい! たすけてくれ!」
 などと言いまして、がたがた震えている事もあり、眠ってからも、うわごとを言うやら、呻(うめ)くやら、そうして翌(あく)る朝は、魂の抜けた人みたいにぼんやりして、そのうちにふっといなくなり、それっきりまた三晩も四晩も帰らず、古くからの夫の知合いの出版のほうのお方が二、三人、そのひとたちが私と坊やの身を案じて下さって、時たまお金を持って来てくれますので、どうやら私たちも飢え死にせずにきょうまで暮してまいりましたのです。
 とろとろと、眠りかけて、ふと眼をあけると、雨戸のすきまから、朝の光線がさし込んでいるのに気附いて、起きて身支度をして坊やを脊負い、外に出ました。もうとても黙って家の中におられない気持でした。
 どこへ行こうというあてもなく、駅のほうに歩いて行って、駅の前の露店で飴(あめ)を買い、坊やにしゃぶらせて、それから、ふと思いついて吉祥寺までの切符を買って電車に乗り、吊皮(つりかわ)にぶらさがって何気なく電車の天井にぶらさがっているポスターを見ますと、夫の名が出ていました。それは雑誌の広告で、夫はその雑誌に「フランソワ・ヴィヨン」という題の長い論文を発表している様子でした。私はそのフランソワ・ヴィヨンという題と夫の名前を見つめているうちに、なぜだかわかりませぬけれども、とてもつらい涙がわいて出て、ポスターが霞(かす)んで見えなくなりました。
 吉祥寺で降りて、本当にもう何年振りかで井の頭公園に歩いて行って見ました。池のはたの杉の木が、すっかり伐(き)り払われて、何かこれから工事でもはじめられる土地みたいに、へんにむき出しの寒々した感じで、昔とすっかり変っていました。
 坊やを背中からおろして、池のはたのこわれかかったベンチに二人ならんで腰をかけ、家から持って来たおいもを坊やに食べさせました。
「坊や。綺麗(きれい)なお池でしょ? 昔はね、このお池に鯉(こい)トトや金(きん)トトが、たくさんたくさんいたのだけれども、いまはなんにも、いないわねえ。つまんないねえ」
 坊やは、何と思ったのか、おいもを口の中に一ぱい頬張ったまま、けけ、と妙に笑いました。わが子ながら、ほとんど阿呆の感じでした。
 その池のはたのベンチにいつまでいたって、何のらちのあく事では無し、私はまた坊やを背負って、ぶらぶら吉祥寺の駅のほうへ引返し、にぎやかな露店街を見て廻って、それから、駅で中野行きの切符を買い、何の思慮も計画も無く、謂わばおそろしい魔の淵(ふち)にするすると吸い寄せられるように、電車に乗って中野で降りて、きのう教えられたとおりの道筋を歩いて行って、あの人たちの小料理屋の前にたどりつきました。
 表の戸は、あきませんでしたので、裏へまわって勝手口からはいりました。ご亭主さんはいなくて、おかみさんひとり、お店の掃除をしていました。おかみさんと顔が合ったとたんに私は、自分でも思いがけなかった嘘(うそ)をすらすらと言いました。
「あの、おばさん、お金は私が綺麗におかえし出来そうですの。今晩か、でなければ、あした、とにかく、はっきり見込みがついたのですから、もうご心配なさらないで」
「おや、まあ、それはどうも」
 と言って、おかみさんは、ちょっとうれしそうな顔をしましたが、それでも何か腑(ふ)に落ちないような不安な影がその顔のどこやらに残っていました。
「おばさん、本当よ。かくじつに、ここへ持って来てくれるひとがあるのよ。それまで私は、人質になって、ここにずっといる事になっていますの。それなら、安心でしょう? お金が来るまで、私はお店のお手伝いでもさせていただくわ」
 私は坊やを背中からおろし、奥の六畳間にひとりで遊ばせて置いて、くるくると立ち働いて見せました。坊やは、もともとひとり遊びには馴(な)れておりますので、少しも邪魔になりません。また頭が悪いせいか、人見知りをしないたちなので、おかみさんにも笑いかけたりして、私がおかみさんのかわりに、おかみさんの家の配給物をとりに行ってあげている留守にも、おかみさんからアメリカの罐詰(かんづめ)の殻を、おもちゃ代りにもらって、それを叩いたりころがしたりしておとなしく六畳間の隅で遊んでいたようでした。
 お昼頃、ご亭主がおさかなや野菜の仕入れをして帰って来ました。私は、ご亭主の顔を見るなり、また早口に、おかみさんに言ったのと同様の嘘を申しました。
 ご亭主は、きょとんとした顔になって、
「へえ? しかし、奥さん、お金ってものは、自分の手に、握ってみないうちは、あてにならないものですよ」
 と案外、しずかな、教えさとすような口調で言いました。
「いいえ、それがね、本当にたしかなのよ。だから、私を信用して、おもて沙汰にするのは、きょう一日待って下さいな。それまで私は、このお店でお手伝いしていますから」
「お金が、かえって来れば、そりゃもう何も」とご亭主は、ひとりごとのように言い、「何せことしも、あと五、六日なのですからね」
「ええ、だから、それだから、あの私は、おや? お客さんですわよ。いらっしゃいまし」と私は、店へはいって来た三人連れの職人ふうのお客に向って笑いかけ、それから小声で、「おばさん、すみません。エプロンを貸して下さいな」
「や、美人を雇いやがった。こいつあ、凄い」
 と客のひとりが言いました。
「誘惑しないで下さいよ」とご亭主は、まんざら冗談でもないような口調で言い、「お金のかかっているからだですから」
「百万ドルの名馬か?」
 ともうひとりの客は、げびた洒落(しゃれ)を言いました。
「名馬も、雌は半値だそうです」
 と私は、お酒のお燗(かん)をつけながら、負けずに、げびた受けこたえを致しますと、
「けんそんするなよ。これから日本は、馬でも犬でも、男女同権だってさ」と一ばん若いお客が、呶鳴(どな)るように言いまして、「ねえさん、おれは惚(ほ)れた。一目惚れだ。が、しかし、お前は、子持ちだな?」
「いいえ」と奥から、おかみさんは、坊やを抱いて出て来て、「これは、こんど私どもが親戚(しんせき)からもらって来た子ですの。これでもう、やっと私どもにも、あとつぎが出来たというわけですわ」
「金も出来たし」
# by adhrutjfh | 2006-04-14 11:19

遣瀬(やるせ)

 幼い子供達は間もなくお種に取って、離れがたいほど可愛いものと成った。肩へ捉(つか)まらせるやら、萎(しな)びた乳房を弄(なぶ)らせるやら、そんな風にして付纏(つきまと)われるうちにも、何となくお種は女らしい満足を感じた。夫に捨てられた悲哀(かなしみ)も、いくらか慰められて行った。
 炉辺に近い食卓の前には、お房とお菊とが並んで坐った。伯母は二人に麦香煎(むぎこがし)を宛行(あてが)った。お房は附木(つけぎ)で甘そうに嘗(な)めたが妹の方はどうかすると茶椀(ちゃわん)を傾(かし)げた。
「菊ちゃん、お出し」と言って、お種は妹娘(いもうと)の分だけ湯に溶かして、「どれ、着物(おべべ)がババく成ると不可(いけな)いから、伯母さんが養って進(あ)げる」
 子供にアーンと口を開かせる積りで、思わず伯母は自分の口を開いた。
「ああ、オイシかった」とお房は香煎(こがし)の附いた口端を舐め廻した。
「房ちゃんも菊ちゃんも頂いて了ったら、すこし裏の方へ行って遊んで来るんですよ。母さんが何していらっしゃるか、見てお出なさい――母さんは御洗濯かナ」
「伯母さん、復た遊びましょう」とお房が言った。
「ええ、後で」とお種は笑って見せた。「伯母さんは父さんの許(とこ)で御話して来るで――」
 子供は出て行った。
 三吉はその年の春頃から長い骨の折れる仕事を思立っていた。学校の余暇には、裏の畠へも出ないで、机に向っていた。好きな野菜も、稀(たま)に学校の小使が鍬(くわ)を担(かつ)いで見廻りに来るに任せてある。
「三吉さん、御仕事ですか」とお種は煙草入を持って、奥の部屋へ行った。彼女は弟の仕事の邪魔をしても気の毒だという様子をした。
「まあ、御話しなさい」
 こう答えて、弟は姉の方へ向いた。丁度お種も女の役の済むという年頃で、多羞(はずか)しい娘の時に差して来た潮が最早身体から引去りつつある。彼女は若い時のような忍耐力(こらえじょう)が無くなった。心細くばかりあった。
「妙なものだテ」とお種が言出した。この「妙なものだテ」は弟を笑わせた。その前置を言出すと、必(きっ)とお種は夫の噂を始めるから。
「旦那も来年は五十ですよ。その年に成っても、未だそんな気でいるとは。実に、ナサケないじゃ有りませんか……男というものは可恐(おそろ)しいものですネ……私が旦那の御酒に対手(あいて)でもして、歌の一つも歌うような女だったら好いのかも知れないけれど――三吉さん、時々私はそんな風に思うことも有りますよ」
 苦笑(にがわらい)したお種の頬(ほお)には、涙が流れて来た。その時彼女は達雄が若い時に秀才と謳(うた)われたことや、国を出て夫が遊学する間彼女は家を預ったことや、その頃から最早夫の病気の始まったことなどを弟に語り聞せた。
「ある時なぞも――それは旦那が東京を引揚げてからのことですよ――復た病気が起ったと思いましたから、私が旦那の気を引いて見ました。『むむ、あの女か――あんな女は仕方が無い』なんて酷(ひど)く譏(けな)すじゃ有りませんか。どうでしょう、三吉さん、最早旦那が関係していたんですよ。女は旦那の種を宿しました。その時、私もネ、寧(いっ)そその児を引取って自分の子にして育てようかしら、と思ったり、ある時は又、みすみす私が傍に附いていながら、そんな女に子供まで出来たと言われては、世間へ恥かしい、いかに言ってもナサケないことだ、と考えたりしたんです。間もなく女は旦那の児を産落しました。月不足(つきたらず)で加(おまけ)に乳が無かったもんですから、満(まる)二月とはその児も生きていなかったそうですよ――しかし、旦那も正直な人サ――それは気分が優(やさし)いなんて――自分が悪かったと思うと、私の前へ手を突いて平謝(ひらあやま)りに謝る。私は腹が立つどころか、それを見るともう気の毒に成ってサ……ですから、今度だっても旦那が思い直して下さりさえすれば……ええええ、私は何処(どこ)までも旦那を信じているんですよ。豊世とも話したことですがネ。私達の誠意(まごころ)が届いたら、必(きっ)と阿父(おとっ)さんは帰って来て下さるだろうよッて……」


「伯母さん、お化粧(つくり)するの?」とお房は伯母の側へ来て覗(のぞ)いた。
「伯母さんだって、お化粧するわい――女で、お前さん、お化粧しないような者があらすか」
 お雪や子供と一緒に町の湯から帰って来たお種は、自分の柳行李(やなぎごうり)の置いてある部屋へ入って、身じまいする道具を展(ひろ)げた。そこは以前書生の居た静かな部屋で、どうかすると三吉が仕事を持込むこともある。家中で一番引隠れた場処である。お種が大事にして旅へ持って来た鏡は、可成(かなり)大きな、厚手の玻璃(ガラス)であった。それに対(むか)って、サッパリと汗不知(あせしらず)でも附けようとすると、往時(むかし)小泉の老祖母(おばあさん)が六十余に成るまで身だしなみを忘れずに、毎日薄化粧したことなどが、昔風の婦人(おんな)の手本としてお種の胸に浮んだ。年のいかない芸者風情(ふぜい)に大切な夫を奪去られたか……そんな遣瀬(やるせ)ないような心も起った。残酷なほど正直な鏡の中には、最早凋落(ちょうらく)し尽くした女が映っていた。肉が衰えては、節操(みさお)も無意味で有るかのように……
 頬の紅いお房の笑顔が、伯母の背後(うしろ)から、鏡の中へ入って来た。
「房ちゃん、お前さんにもお化粧(つくり)して進(あ)げましょう――オオ、オオ、お湯(ぶう)に入って好い色に成った」
 と言われて、お房は日に焼けた子供らしい顔を伯母の方へ突出した。
 やがてお種はお房を連れて、お雪の居る方へ行った。お雪も自分で束髪を直しているところであった。
「母さん」とお房は真白に塗られた頬を寄せて見せる。
「へえ、母さん、見てやって下さい――こんなに奇麗に成りましたよ」とお種が笑った。
「まあ……」とお雪も笑わずにいられなかった。「房ちゃんは色が黒いから、真実(ほんと)に可笑(おか)しい」
 暫時(しばらく)、お種はそこに立って、お雪の方を眺めていたが、終(しまい)に堪え切れなくなったという風で、こう言出した。
「お雪さん、そんな田舎臭い束髪を……どれ、貸して見さっせ……私は豊世のを見て来たで、一つ東京風に結ってみて進(あ)げるに」
 お房は大きな口を開きながら、家の中を歌って歩いた。
# by adhrutjfh | 2006-03-04 13:23

彼方(あちら)

 南の障子に近いところは、お雪が針仕事を展げる場所である。お種はお雪と相対(さしむかい)に坐って、余念もなく秋の仕度の手伝いをした。障子の側は明るくて、物を解いたり縫ったりするに好かった。
「菊ちゃん、伯母さんにその写真を見せとくれ――伯母さんは未だよく拝見しないのが有った」
 お種は子供が取出した幾枚かの写真を受取った。お雪が生家(さと)の方の人達の面影(おもかげ)は順々に出て来た。
「お雪さん」とお種は勉の写真を取上げて、「この方がお福さんの旦那さんですか」
「ええ」
「三吉も、彼方(あちら)で皆さんに御目に掛って来たそうですが……やはりこの方は名倉さんの御養子の訳ですネ。商人は何処(どこ)か商人らしく撮(と)れてますこと」
 こう言ってお種は眺めた。
「菊ちゃん、そんなに写真を玩具(おもちゃ)にするんじゃ有りませんよ」
 と母に叱られても、子供は聞入れなかった。お種は針仕事を一切(ひときり)にして、前掛を払いながら起立(たちあが)った。
「さあ、房ちゃんも菊ちゃんも、伯母さんと一緒にいらっしゃい――復た御城跡の方へ行って見て来ましょう」
 お種は帯を〆(しめ)直して、二人の子供を連れて出て行った。お雪の側には、そこに寝かしてあったお繁だけ残った。部屋の障子の開いたところから、何となく秋めいた空が見える。白いちぎれちぎれの雲が風に送られて通る。
「姉さんは?」と三吉が学校から帰って来て聞いた。
「散歩がてらオバコの実を採りにいらっしゃいました――子供を連れて」
「そんな物をどうするんかネ」
「髪の薬に成さるとかッて――煎(せん)じて附けると、光沢(つや)が出るんだそうです――なんでも、伊東の方で聞いてらしったんでしょう」
 三吉は小倉の行燈袴(あんどんばかま)を脱捨てて、濡縁(ぬれえん)のところへ足を投出した。
「それはそうと、姉さんは木曾(きそ)の方へ子供を一人連れて行きたがってるんだが――どうだネ、繁ちゃんを遣(や)ることにしては」
 こんなことを夫が言出した。お雪は答えなかった。
「こう多勢じゃヤリキレない」と言って三吉はお繁の寝ている様子を眺めて、「姉さんに一人連れてって貰えば、吾儕(われわれ)の方でも大に助かるじゃないか……しきりに姉さんがそう言うんだ……」
「そんなことが出来るもんですか」とお雪は言葉に力を入れた。
 三吉は嘆息して、「姉さんだっても寂しいんだろうサ……そりゃ、お前、正太さんには子供が無いから、あるいは長く傍に置きたいと言うかも知れないし、くれろと言うかも知れない。その時はその時サ。当分姉さんが繁ちゃんを借りて行って、育てて見たいと言うんだ。どうだネ、お前は――俺(おれ)は一人位貸して遣っても可いと思うんだが」
「貴方は遣る気でも、私は遣りません――そんなことが出来るか出来ないか考えてみて下さい――」
「預けたって、お前、別に心配なことは無いぜ。姉さんのことだから必(きっ)と大切にしてくれる」
「姉さんが何と仰(おっしゃ)っても――繁ちゃんは私の児です――」
 姉が末の子供を郷里の方へ連れて行きたいという話は、三吉の方にあった。お雪は聞入れようともしなかった。
# by adhrutjfh | 2006-03-04 13:23

秋も深く

 秋も深く成って、三吉の家ではめずらしく訪ねて来た正太を迎えた。正太は一寸上京した帰りがけに、汽車の順路を山の上の方へ取って、一夜を叔父の寓居(すまい)で送ろうとして立寄ったのであった。
 奥の部屋では客と主人の混(まざ)り合った笑声が起った。お種は台所の方へ行ったり、吾子(わがこ)の側へ行ったりして、一つ処に沈着(おちつ)いていられないほど元気づいた。
「正太や――お前は母親(おっか)さんを連れてってくれられる人かや」
「いや、今度は途中で用達(ようたし)の都合も有りますからネ――母親さんの御迎には、いずれ近いうちに嘉助をよこす積りです」
「そんなら、それで可いが、一寸お前の都合を聞いて見たのさ。何も今度に限ったことは無いで……」
 三吉を前に置いて、橋本親子はこんな言葉を換(かわ)した。漸(ようや)くお種は帰郷の日が近づいたことを知った。その喜悦(よろこび)を持って、復たお雪の方へ行った。
 三吉と正太とは久し振で話した。この二人が木曾以来一度一緒に成ったのは、達雄の家出をしたという後であった。顔を合せる度に、二人は種々(さまざま)な感に打たれた。でも、正太は元気で、父の失敗を双肩に荷(にな)おうとする程の意気込を見せていた。
「正太さん。姉さんも余程沈着(おちつ)いて来ましたろう。僕の家へ来たばかりの時分はどうも未だ調子が本当で無かった――僕が姉さんに、郷里(くに)へ帰ったら草鞋(わらじ)でも穿(は)いて、薬を売りに御出掛なさいなんて、そんな串談(じょうだん)を言ってるところです」
「そういう気分に成れると可(い)いんですけれど……然(しか)し、最早連れて帰っても大丈夫でしょう。母親さんが家へ行って見たら、定めし驚くことでしょうナア。なにしろ、私も手の着けようが有りませんから、一切を挙げ皆さんに宜敷(よろしく)頼む、持って行きたい物は持っておいでなさい――何もかもそこへ投出して了ったんです」
「その決心は容易でなかったろうネ」
「ところが、叔父さん、その為に漸く家の整理がつきました。そりゃあもう、襖(ふすま)に張ってある短(たん)冊まで引剥(ひっぺ)がして了ったんですからネ……そういう中でも、豊世の物だけは、一品だって私が手を触れさせやしません……まあ、母親さんが居なくて、反(かえ)って好かった。あれで母親さんが居ようものなら、それほどの決断には出られなかったかも知れません。田舎はそこへ行くと難有(ありがた)いもので、橋本の家の形も崩さずに遣って行かれる。薬は依然として売れてる――最早嘉助の時代でも有りませんから、店の方は若い者に任せましてネ、私は私で東京の方へ出ようと思っています。これからは私の奮発一つです」
「へえ、正太さんも東京の方へ……実は僕も今の仕事を持って、ここを引揚げる積りなんですが……」
「私の方が多分叔父さんよりは先へ出ることに成りましょう」
「随分僕も長いこと田舎で暮しました」
# by adhrutjfh | 2006-03-04 13:22

懐かしい

「お仙はどうしたかいナア」と不幸な娘のことまで委(くわ)しく聞きたがる母親を残して置いて、翌日(あくるひ)正太は叔父の許を発(た)って行った。
 そろそろお種も夫の居ない家の方へ帰る仕度を始めた。達雄が残して行った部屋――着物――寝床――お種の想像に上るものは、そういう可恐(おそろ)しいような、可懐(なつか)しいようなものばかりで有った。
「三吉さん――私もネ、今度は豊世の生家(さと)へ寄って行く積りですよ。寺島の母親さんにも御目に掛って、よく御話したら、必(きっ)と私の心地(こころもち)を汲(く)んで下さるだろうと思いますよ」
 隣室に仕事をしている弟の方へ話し掛けながら、お種は自分の行李を取出した。彼女はお雪と夏物の交換などをした。
 やがて迎の嘉助が郷里(くに)の方から出て来た。この大番頭も、急に年をとったように見えた。植物の好きなお種は、弟がある牧場の方から採って来たという谷の百合、それから城跡で見つけた黄な花の咲く野菊の根などを記念に携えて、弟の家族に別れを告げた。お種は自分の家を見るに堪(た)えないような眼付をして、供の嘉助と一緒に、帰郷の旅に上った。
 翌年(あくるとし)の三月には、いよいよ三吉もこの長く住慣れた土地を離れて、東京の方へ引移ろうと思う人であった。種々(いろいろ)な困難は彼の前に横たわっていた。一方には学校を控えていたから、思うように仕事も進捗(はかど)らなかった。全く教師を辞(や)めて、専心労作するとしても、猶(なお)一年程は要(かか)る。彼は既に三人の女の児の親である。その間、妻子を養うだけのものは是非とも用意して掛らなければ成らなかった。
 とにかく、三吉は長い仕事を持って、山を下りようと決心した。
「オイ、洋服を出しとくれ」
 とある日、三吉は妻に言付けた。三吉はある一人の友達を訪ねようとした。引越の仕度をするよりも何よりも、先(ま)ず友達の助力を得たいと思ったのである。
 寒そうな馬車の喇叭(らっぱ)が停車場寄(ステーションより)の往来の方で起った。その日は三吉と同行を約束した人も有ったが、途中の激寒を懼(おそ)れて見合せた位である。三吉は外套(がいとう)の襟(えり)で耳を包んで、心配らしい眼付をしながら家を出た。白い鼻息をフウフウいわせるような馬が、客を乗せた車を引いて、坂道を上って来た。三吉はある町の角で待合せて乗った。
# by adhrutjfh | 2006-03-04 13:22